もう取り戻すことは出来ぬだろう。
遙けき遠くに去りにしものは。
掬いきれずに零したものは。

激しい雨音が深い闇の中に虚ろに染みこんでいく。
灯りもろくにない館の中は真夏の昼間だというのに
陰鬱で濃厚な暗い空気に満たされており、
館を包む厚い雨雲の中を時折走る稲光が
調度品や館内を蠢くもの達の影を不気味に浮かび上がらせていた。
そんな闇の中に仄かな光を帯びた淡い紫の寝間着を纏った少女が物思いに耽っていた。
気の滅入るようなこの天気の所為ではないだろう。
それを呼んだのは彼女自身であったし、
そのような感傷に浸るにはこの空模様は少々騒がしすぎた。


あれは何時のことだろう。
七曜の精との馴れ初めは。
其に力を見いだしたのは。

館内は騒然としているようだった。
メイド達の慌ただしく駆け回る音、飛び回るざわめき、
瀟洒である筈のメイド長の命令の声が焦りを含んでいることからも、
只ならぬ事態が起きていることが知られた。
そんな中に少女は立ちつくしていた。
怯えていたわけでも、事態に呆然としていたわけでも無い。
彼女は己の為すべき仕事を果たしていたし、
その上でおよそ緊急事態に相応しく無い物思いに耽っているのだった。


あの本は返らぬだろう。
傍らに常に在りし欠片は。
我が数多のかたわれ達は。

どれほど前であろうか、紅い月がとても綺麗な夜に、
殆ど来客の無い彼女の図書館に黒い魔法使いの少女が現れた。
本来館とは捻れて繋がっている彼女の図書館へ、
館内への侵入者が直接通された事から
館を汚されたくない切れ者メイド長の作為を感じた彼女であったが、
彼女にとって何より大切な物である本を
自分に構わず平然と持っていくなどと言うこの黒い鼠に対して、
彼女は生まれて初めて、力の限りの魔法勝負を行ったのだった。
生まれついての本物の魔女であり、絶大な魔法力を持つ彼女が
普通の人間の魔法使いに負ける筈は無いと思われた。

だが、彼女は負けた。それ以来この黒いのはたびたび図書館に現れ
思いの傾くまま本を借りていくのだった。
借りていくとは言っていたが、あいつは返してくれそうにない。
だが、実際には彼女にとってその事自体はどうでも良かった。
それよりも、あの敗北以来彼女の胸の内を燻っているものがある。
それが彼女の心にずっと、棘のように喰い込んでいて、
何をしている時もちくりちくりと掻き乱すのだった。
彼女が100年の間憩い続けていた、本を読んでいる時さえも。


「…パチュリー様。お疲れでしたら図書館に戻られますか?」
声を掛けられ、魔女は目を醒ますかのように自分の置かれている状況に意識を戻した。
ひとりのメイドが不安そうな顔を彼女に向けていた。
このメイドは館中でもメイド長の次に実力があり、
今回の騒ぎの中でパチュリーの護衛を勤めてくれているのだった。
「…平気よ。こんな煩くちゃ、落ち着いて本も読めないし。」
軽く微笑みながら魔女は答える。
紅の妹姫が、その狂気と破壊の力を携え、お外に遊びに出ようとしている。
今回の館の騒動はそれを食い止めるためのものであった。
既に時を操るメイド長による時空の結界と、
この魔女パチュリーによる退魔の豪雨の結界との二重の結界が張られているが、
すべてを破壊する妹姫の前に、どれだけの効果があるだろうか。
彼女がその気になれば…滅多にそんな事は無いのだが…
それらを丸ごと消し去るのは訳無い事の筈だった。

だから、次の手のためにも魔女は待機している。
だがそれだけではなく、パチュリーは胸騒ぎを感じ、待っていた。
心に刺さっていた棘が、うずく。その原因は。
その事に思いを傾けた瞬間、彼女はそれが館内に侵入したことを感じ取った。


メイド達が騒ぐのが聞こえる。
パチュリーの傍らに侍していたメイドは、
奥に行ったまま帰って来ない手が離せないであろうメイド長の代わりに
素早く指示を送ると侵入者を迎え撃つべく陣を張り直す。
そして彼女は音も無く浮かび上がると、笑いかけた。
「…スペルカード一枚ぐらいは潰してきますわ。」
メイド長のような事を言う、とパチュリーは笑った。
お互いの術が干渉しないように、迎撃の際には護衛と雖も間合いを取らねばならないとはいえ。
「…いつもは表に出ないのに、今日はやけにやる気ね?」
その声に答えを返す間もなく、メイドは自分の周りに結界を張りながら勢い良く飛び立っていった。
全てのメイドが戦闘配置についた中、魔女はひとり紅い床の上に立っていた。
パチュリーは深くゆっくりと息を吸い、そして吐く。
「…今日は、喘息も調子いいから」
それがいつもの埃まみれの図書館ではなく、
綺麗に掃除された館の廊下にいるせいだと彼女は気づかない。
気づいたところで、彼女が彼女の習慣を変えるわけでもないのだが。
深い呼吸とともに全身に魔力を蓄える。
手を掲げれば心臓の鼓動とともに、精霊を導くその力が脈打つのを感じる。
今ならあの時以上の、最大の力が出せるだろう。
「とっておきの魔法、見せてあげるわ。」
木の精霊達を喚ぶ。意志持つ風は魔女の体に纏わりつき、
彼女の意のままにその体を運ぶ。魔女はゆっくりと宙に浮く。
彼方に沢山の光が輝くのが見える。
炸裂しているであろう力が火花のようにちらちらと光る。
魔女は翔ぶ。
確かめなければならない。全力を以てして。


あれは何処で亡くしたろう。
深い深い記憶の海の底で。
遠い遠い因果の森の奥で。

パチュリーは宙を駆けながらかつての敗北を思い出す。
喘息という枷を鑑みても、知識も魔法力も術式もあの人間を間違いなく上回っていた。
実戦経験の差はあれど、もし例え自分の方が経験豊富だったとしても
結果を覆すことは出来なかっただろう。
それ程までにあの黒い魔法使いは、強かった。魔力にも種族にも関わらず。
幾重にも重ねて張り巡らされた魔と精霊の死の幕が、まるで舞うかのようにかいくぐられた。
技巧を凝らし、複雑な術式により構成された数々の魔法が只一条の光に貫かれ、落とされた。
そして全ての制約を外し魔法使いの手より解き放たれる光の奔流。
その圧倒的な力と純粋さにパチュリーはこのひねくれた少女の
隠された心根が顕れているかのように思えたのだった。
彼女は感じた。自分は決してこの少女に勝てないのだと。

別に魔法勝負の勝敗自体に拘っているわけではない。
そんな事はこの魔女にとっては些細なことだった。
だが彼女はその中で、自分に欠けているものを見出してしまった。
もう二度と取り戻せないものを。
その空虚が彼女の胸を焦がす。


「あんたかい?これらの仕業は。」
…全く今日はぼーっとしてばかりだ。それとも、あれからずーっとだったかしら。
目前に黒い魔法使い、霧雨魔理沙がいた。
パチュリーはその目を見つめる。
この黒いのは本当に何時でもお気楽そうだ。この事態を知ってか知らずか。
事態、という言葉が胸中に浮かんだ時、魔女は苦笑いを浮かべずにはいられなかった。
私もよっぽどお気楽かしらね。
護衛の彼女はどうしたのだろう。いつもならやるだけやって退いてきても良さそうなものだが。
もし無謀な特攻でもしたとすれば、およそ分別のある彼女らしくない。
…ともあれ今は。
「…本当は、今それどころじゃないのよ。」
目を伏せ、微笑みながら魔女はそう言う。
「あんたにしては珍しいな」
黒い魔法使いは帽子を被り直す。
「今日は随分積極的じゃないか。」
魔女の強大な魔の力が支配する領域が、彼女らの周囲を異界へと変貌させていた。


魔女の天へと差し上げた手が輝きを放ち始める。
冷たく冴え渡る光が静かにゆっくりと広がり辺りの闇を白く照らし出す。
魔法使いはそれに違和感を感じた。その光はこの魔女がかつて見せた魔法の内には無いものだった。
だが何処かで見覚えがある。あの手を広げた変な奴、宵闇の妖怪とやらの力に似ている。
しかしこの魔女は木火土金水の五行五元素使いである筈だ。闇の力、その内に輝く月の力なんて…
月…?
魔理沙がその思索を終える頃には一面を月光が満たしていた。
あれだけ魔法を見せておいて、まだ先があるとは本当に面白い奴だぜ。
そう一人ごちると魔理沙は意識を集中させる。
魔女から広がる光は穏やかに、月の持つ安らかなる死の力を内に秘めしんしんと降り注ぎ、
二人を冥い虚空に蒼白く浮かび上がらせる。
闇の内には星々の光が綺羅綺羅と宝石を散らしたかのように無数に瞬き、
それが夜空が落ちてくるかのように魔法使いへと流れ行く。
魔理沙はその中、雪に戯れる子供のように、楽しそうに舞い踊る。
極限ぎりぎりの緊張感の中に身を置くことで、
心の内の憂さも何もかも灼き尽くすかのような感覚、悦び。


あの心は戻らぬだろう。
万色にして無垢な魂は。
年月に倦むを知らぬ心は。

そんな魔理沙を見つめてパチュリーは思う。
私にもかつてはあんな心があっただろうか。
それが思い出せれば、あのように奔放に力が振るえるだろうか。
経験や秩序、理論に覆われ、失われてしまったもの。
魔女は遙か昔、初めて魔法を使った時へと記憶の糸を手繰ろうとする。
だがその糸の先は膨大な本によって積み上げられた記憶と時に霞まされ、辿ることが出来ない。
そもそも最初からそんなものは無かったのかも知れない。
私は最初からこうだった?確かめる術は何もない。そうする事の意味も。
人間の特性は変化できること、と何かの本に書いてあった。
彼女はこれからも様々なものと出会い、変わっていくのだろう。
我々は悠久に延びきった時間の中で只失い、薄れてゆくのみなのに。


魔法使いの光条が、魔女が纏う様に展開していた結界状の術式を撃ち破り、魔法が解かれる。
魔女はとっておきの術式が崩れ落ちる様を当然のように一瞥して、黒い魔法使いの方を見る。
魔理沙は不敵な笑みを浮かべながら、楽しそうにパチュリーを見つめている。
そう。あなたの考え通りとっておきはもう一枚ある。
全身全霊を籠めた、私の最大の術式が。

出せる限りの魔力を前方の一点に集中させ、幾重にも幾重にも術式を呪文と共に重ね掛ける。
その点を中心とした大広間程もある巨大な無数の魔法円が数多の方向に重層して生まれ、
それは一つの輝く球体となり、二人を包み込んだ。
巨大過ぎる。魔理沙の顔が驚愕に凍り付く。だがもはや逃れることは出来ない。
そしてその全ての魔法円が、火を噴いた。
只の火ではない、その圧倒的なまでに激しく苛烈にして生命力に満ちあふれたそれは、
七曜の王たる太陽の火。およそ地上に存在しえない神々の熾炎は此の世の如何なるものをも焼き尽くす。
それを外から観る者がいれば、小さいとはいえまさしく一つの太陽が其処に生まれるのを見ただろう。
そしてその内部では。
生身ではおよそ保つ筈もない超高温の中、魔女の唱える術式に合わせ魔法円の上を幾多の炎が駆けめぐる。
弧を描いて吹き上がっては、灼けるような輝きを方々に激しく散らしながら粉々になって降り注ぎ、
呑み込んだ全てを灰と化す。


あの平穏は還らぬだろう。
夢と幻に微睡む心は。
延ばされし時にたゆたう想いは。

彼女は知っていた。例えもしこれで勝てたところで
もう二度と心の安寧を取り戻すことは出来ないことを。
一度心に生まれた空虚は見えなくなろうとも消えることはなく。
如何なるものをもってしても贖えないことを。

それでも。
彼女は力の限りの知と技を敵わぬ相手に叩きつける。
多くのものが失われる中掬いあげたこの力に何か価値があるのなら。
それを確かめたい。そう願い。
それ故、この術はパチュリーの持つ知の最もいと高きところ。
その全ての動きはあまりに秩序正しく、綺麗で。
まるで絡繰り仕掛けのように、あまりに。


魔理沙は舞い散る炎を必死に躱し続ける内に、それを感じ取る。
こいつらしいな、そんな想いがふと魔理沙の心をよぎる。
炎の間隙にパチュリーの姿を見る。
パチュリーは一心不乱に術式を唱えている。
彼女はこの怖ろしく強大な魔法をその力と術式をもって
全て完全に支配しているのだろう。
こいつらしい、そう再び思った時、魔理沙には炎の挙動の全てが見えた気がした。

綺麗な術式だ…綺麗すぎるぜ…。
パチュリーの眼前に、魔理沙の姿があった。
魔女は一瞬泣きそうな顔を見せた後、哀しそうに微笑んだ。
魔理沙が手をかざすと、術式は砕け散った。
粉々になった魔法円が光の欠片となってあたりに舞い落ち、溶け込むように消えてゆく。
先程まで空気を満たしていた熱も嘘のように引き、あたりは再び何事も無いかのように静まり返った。


やはり…かなわないのね…。
そしてパチュリーを巨大な術式が崩壊した反動が襲う。
体中から大量の魔力が抜ける。全身が激しい脱力感に襲われる。
ああ、でも。
パチュリーの胸の疼きは止まらない。心に刺さった棘は、まだ、まだ、と呻き声をあげる。
最大の力をもってして敗れた今、もはや為すべき事はない。出来ることは何もない。
こうなる事は最初から解っていた筈なのに、この心はこうする事で何かが得られるんじゃあないか、
取り戻せるんじゃあないかと浅はかにも期待をかけていたのだ。
そして終わった今となっても未だ醜く執着し、およそ望める筈の無い希望に縋ろうとしている。

魔法力はまだ残っている。もう複雑な術式は組めないだろうけど、
この力を全て出し尽くせばせめて一時心の空隙を覆えるだろうか?
…無駄だろう。何の意味も無い事だ。
そう識っているにも関わらず、胸に空いた虚に棲む醜い未練は魔女を何処までも駆り立てる。

魔女は魔法の言葉を紡ごうとする。
だが呼吸が出来ない。
血の流れも弱っているのか、意識が遠ざかる。
必死に喘ぐが、全身から力が抜けていく。
忌々しい体。役に立たない体。
出すことの出来ない力があっても、何の意味があるだろう。
狭まり消えてゆく視界の中に魔理沙の顔が映る。
異変に気づいた心配そうな顔。
惑わされ悩まされ嘲り尊敬し妬み憧れ憎しみ愛おしんだ者の顔。
しかしその諸々の感情の張り裂けんばかりの声無き叫び声は、
出口を見つけられずに心の空虚に只虚しく乾いて響き渡る。
せめて一呼吸、一鼓動あれば…


一瞬なら。
パチュリーは最後の力で印を紡ぐ。
木の精を奔らせ、肺に空気をむりやり流し込む。
金の精を沸かし、吸気を内臓深く送りこむ。
火の精を昂らせ、心臓を打ち起こす。
水の精を滾らせ、血流を溢れさせる。
土の精を震わせ、意識を揺さぶり起こす。
強制的に覚醒させられ、限界以上に酷使された全身が悲鳴をあげる。
体中から溢れ出した魔力が淡く輝き、呼吸と共に魔女の体内に染みこんでゆく。
刹那の静寂。
そして五つの光が空を切り裂いた。

もはや制御する力を持たない魔女は、
己の身の内の力を只そのままに解き放つ。
心中の想いを全て吐き出すように。
その力は鮮やかな五彩となる。彼女の最も得意とし、諸物の元素である五つの力。
焼き尽くす炎は歓喜に燃えて火鳥のように乱れ飛ぶ。
切り裂く疾風は怒りを纏い蛇のようにのたうち回り、
押しつぶす礫は想いを秘めてゆっくりと歩み寄る。
突き刺す鋼は哀しみに光り獣のように疾駆して、
凍てつく氷は畏れを籠めて魚のように宙を泳ぐ。
そしてそれらがぶつかり合い、相生・相克を繰り返し、あらゆる生々流転が顕れる。
其処には、此の世の全てがあった。
全ての感情、全ての事象、愛や憎しみ、生や死、それら全ての輝きが。

これはこの魔女すらも知らなかったもの。
その光景は彼女に、そして魔法使いにもあるものを思い起こさせた。
全てを内包するという究極の物質、賢者の石。

…これは?
溢れ出す膨大な魔力と五彩の輝きが入り交じり、
魔女は真っ白い焔に包まれているかのように輝きの中にいた。
その中でパチュリーは心の表層の、深奥の、数限りない感情が溶けていくのを感じる。
意識が遠ざかりつつあるから?そうではない。
何か透明なものが胸中を満たしていく、いや、心が透き通っていく。
何処までも純粋に。

パチュリーの瞳に魔理沙が映る。
人の身では世界の全てを知ることが出来ないように、
人間の智の範疇を超える秩序と混沌、そして諸物の力の奔流。
それらに呑み込まれながら尚、この黒い魔法使いは持ち堪える。
焦り、狼狽え、恐怖し、でも愉しそうに笑いながら。
ふ、とパチュリーは笑った。
やっぱり…私にはどうしても届かない。


爆ぜるような音が響き渡り、術が解ける。
魔女の力により開かれていた異界は閉じ、結界は砕け落ちた。
精霊達を駆り立てていた力が消え、
輝きはゆっくりと大地に、大気に、在るべき所へと溶けていった。
パチュリーの振り絞った最後の一瞬はこうして終わり、
彼女の意識は再び閉ざされていった。
その中で彼女はおよそ感じる筈の無い感覚に囚われる。
身も心も力を使い果たした魔女の体がゆっくりと…重力に引かれ始める。
…落ちる?
あろうことか、普段なら無意識にも行える、自分の体を宙に
浮かべる力さえも残っていなかったのだ。
体の周りを吹き上げていく風が急速に落下している事を示しているのに反して
ゆっくりと近づく紅い床。
歪み広がった館内は全く距離感が無いが、
おそらくこの速度で叩きつけられればいくら人外の身と雖も。
今にも消えそうな意識の中で、パチュリーは笑った。
生き死にだって、私を何一つ変えはしないだろう。
黒い魔法使いの事を想う。
憎くて愛しいその顔が見える。
少女は笑いながら手を差しのばす。
そして彼女の心を無が覆った。


「あんたにしては珍しいな」
ゆっくりと目を開ける。視界が徐々に定まってみれば、目の前には微笑む魔理沙の顔。
驚いて退こうとするが、体に力が入らない。身体感覚がはっきりしてくる。
背に、脚に感じる暖かい肌の温もり。どうやら抱きかかえられているらしい。
再び驚いて退こうとするが、やはり体に力が入らない。
飛行魔法のおかげで殆ど重さが無いのであろう、
魔法使いの細い腕がふんわりと魔女を支え、抱き上げている。
「…あんたが貸したものを返さないからよ。」
パチュリーはようやく口を開くとそう言った。
「読み終わったらちゃんと返すぜ。読めないけどな。」
笑いながら魔理沙は言う。
この魔法使いは何処まで冗談なのだろうか。

それにしても、と前置いて魔法使いはパチュリーの最後のスペルを思い出していた。
「あんたにあんな所があるなんてな。」
みっともない所を見られてしまった。でもあの時の、あの感情は…。
しかし凄い魔法だったぜ、と魔理沙の興味はむしろそっちにあるらしく、
術式の考察など始めてしまう。全くこの魔法使いは。
「…賢者の石に第一原質(マテリア=プリマ)…うしなわれしはじまりのもの、か。」
ぼんやり聞いていた言の端にはっとして、パチュリーは魔理沙を見つめる。
だが目を落とすと寂しそうに笑うのだった。
そうか。でも違う。あれは。あの感情も。
極めて複雑に入り交じったが故に擬似的にそう見えたに過ぎない。
あれは偽物。本当に純粋な、はじまりのものではない。
なくしたものはかえらない。


「立てるか?」
気がつけば紅い床のすぐそばまで降りていた。
体力も魔力もある程度回復したようだ。パチュリーは魔理沙に支えられながら降り立つ。
パチュリーが大丈夫そうなのを見届け、さて、と去ろうとする魔理沙に対して
魔女は簡易な魔法の言葉を唱える。
黒い魔法使いの周りに五色の光が駆けめぐる。
その残光が薄い膜の様に積もり、魔法使いを包むとぼぉっと瞬いて消えた。
パチュリーは息をひとつ吐くと、どうでもよさそうに言う。
「…精霊の加護を。」
「あんたの結界ならさぞ強力なんだろうな?」
「着替え一枚分程度よ。」
そいつは心強いぜ、と魔理沙は笑う。
「…しかしあんたらしくないじゃないか。」
パチュリーはいつもの面倒そうな目で、しかし微笑みながら答える。
「本を返して貰う前に死なれちゃ迷惑だから。」
魔理沙は館の奥に目を遣りながら笑って言った。
「じゃあ借り賃がわりに、奥の奴は懲らしめてやるぜ。」

魔女は目を伏せる。
メイド長は敗北したのだろう。彼女の時空の結界は既に消えているようだった。
だから感じ取れた。館の奥で狂悪な気配が嵐のように渦巻き、それがここにまで流れてくるのを。

この黒いのは私に出来ないことを平然と言ってのける。
そしてきっと慌てたり焦ったりしながらもあの笑みを浮かべながらやってのけてしまうのだろう。
それを想うとパチュリーは、ただ可笑しくて、笑った。

…案外私もあの狂える少女の狂気に中てられていたのかもしれない。
今日は全てがおかしい、そんな日だ。
あの娘の作ったおはなしに、いつの間にか取りこまれていたのだろうか。

「…魔理沙。」
顔を上げ、呼びかける。だが黒い魔法使いの姿は既に無かった。
ひとり残されたパチュリーの周りにはいつも通りの暗闇があるばかりだった。
全く気儘なものだ。
あの黒い鼠には色々なものを持って行かれてしまった。あいつは返してくれそうにない。
でも…
パチュリーは魔理沙の去っていった闇を見つめ、微笑んだ。



なくしたものはかえらない。
だけど心に留めよう。
それを奪いし愛しきものを。
これの全ての消える時まで、とこしえに。



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3秒後。
ピチューーーーン。
「あー…なんだか激しい自機狙い弾にやられたぜ。」
「帰れ。」


おしまい。


























I am totlaly wowed and prepared to take the next step now. Amelia(2012/09/17,18:14)

こめんと
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