私的な定義の中でファンタジーとメルヘンという相交わらぬ対立項があって。
大雑把にファンタジーはメリケンファンタジー的な客観と理性の司る世界。
メルヘンは童話的な主観と感性の司る世界。
そこから紡がれる物語の論理は異なり、また描かれるべき絵もまったく違う。
指輪物語においてトムボンバディルがあれ程整合性を気にした世界にあっても尚
例外的に排除もされずファンタジーの従属物にもされずに置かれたことが、
顕著にメルヘン的な要素を取り込んだファンタジーにおいても
この二つが本質的に相異なるものでなければならないというトールキンの思想を
示していたんじゃないかと思ったりします。

そしてまぁここしばらくはファンタジー的なもの、を描けるようになろうと考えていたわけです。
メルヘンを書くには詩人でなければなりません。メルヘンを描くには優れた感性がなければなりません。
「!り、理性を使ってみてはどうでしょうか?
  一瞬だけ苦痛をまぎらわす頼もしいものなんですが…」
理性ならきっとなんとかしてくれる…と思ったらなんとかしてくれなかった。
理性にセンスは要らんといったがスマンありゃ嘘だ。
数式の正しい正しくないは美しさで解るという…

そしてまた(この定義での)ファンタジー的に「良い」絵はどんな絵になるかというと、
デザインの合理性、物質的整合性、そして緻密さあたりに帰結してしまうわけですが。
メルヘン的な感覚的で歪な絵とどちらが「好き」か二者択一ならメルヘンかしらというわけで
しばらくメルヘン寄りを模索できたら、いいな、と。
――センスが無いなら絵なんて描かなければいいのに!
よのなかにはね、そうせざるをえないしかたのないこともあるのだよ。


























私が思うメルヘンとは主観が子供でなければならないといけないと思うのですが
子供過ぎると今度は絵が描けなくなってしまう
困ったものですね
その点ファンタジーはメルヘンに比べ、描きやすいものだと思います
やはり絵を描くにあたって感性がついて回ってしまうのは解決できない問題なのでしょうか (2010/06/09,19:14)
>>メルヘン
自分的には子供は極めて主観的で大人になるということが
客観性を取り入れていく、といったイメージなので子供的ともいえますね。
大人が読めるメルヘンや童話の面白いところは主観がそのレベルでありながら
思想的にはまったく子供的でなかったりもしうる所だと思いますが。
まぁ私はまだ子供が読めるという意味での御伽噺は作れませんが!
なにかの「偽物」でよければまぁ感性は要らないかもしれません! Katzeh(2010/06/11,00:59)

こめんと
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